OB寄稿『高雄のおばあちゃんとの思い出』:十文字(S55卒)

あれは2004年10月のことでした。

台湾新幹線の打ち合わせで、初めて台湾南部の大都市高雄に出張したときの、夢のようなできごとを聞いて下さい。

夕刻、ホテルにチェックイン後に、やることもないのでホテルの近くを流れる愛河(=もし東京の墨田川が熱帯地方を流れていたら・・・みたいな川)の湖畔のベンチで涼んでいた時のことです。10月と言っても、ここは熱帯。夕方になってもまだ街全体がモワッとした熱気に包まれています。

ふっと気が付くと、おばあちゃんとお孫さん(みたいだったけれど、実は後で聞けば外国人のメイドさん)が仲睦まじく散歩しながら、私の前をゆっくりと横切りました。
私(の心の声):あぁ、おばあちゃん想いの優しいお孫さんだな。

そのまま川面をそよそよと渡る、心地よい風に身と心を委ねていると、もう一度さっきの2人連れがゆっくりと私の前を横切り、そしてさらにもう一度。
私(心):おや?なんだ?なんか用かな?

やがてそのおばあちゃん、ゆっくり私に歩み寄ると、おどおどと小さな声で

老婦人:日本語で「今何時ですか?」

私(心):おおっ!いきなりそう来たか!日本語教育世代のおばあちゃん、久々に日本人と日本語でお話ししたいんだなぁ。良いですよ、日台親善。お付き合い致しましょう。

それにしても私は通りすがりで、それと判るほどの日本人顔なの?

私:にっこり微笑んで、優しく「今、6時15分ですよ。」

老婦人:「はい、ありがとうございます。」「ちょっとお話し、よろしいですか?」

私(心):ほらほら!来た来た! でもなんて上品な正統日本語なんだろう!ちょっと負けそぉ~

私:「日本語、お上手ですね。」「どうぞ、どうぞ、お座り下さい。」

老婦人:「わたくし、この春に主人を亡くしましたの。」「主人は東京帝国大学を卒業しましたのよ。」

私:「それはすばらしいご主人だったのですね。」「お寂しいですね。」

老婦人:「わたくしね、担任の先生が鈴木先生。生け花の先生が山下先生でしたの。」「お二人共、お元気でいらっしゃいますかしら?」

私(心):いやいや、そりゃあちょっとムリっしょ。

私:「そうでしたか。」「お二人は、きっと今でもお元気でいらっしゃいますよ。」

老婦人:「わたくし、ひとつお伺いしてもよろしいかしら。」「今でも日本の皆さんは、天皇陛下のことを 陛下 とお呼びしているのですか?」
私(心):いやぁ、普通は てんちゃん とか・・・
私:「はい。今でも日本国民は 陛下 とお呼びしていますよ。」

老婦人:(嬉しそうにニッコリ微笑んで)「そうでしたか。」「それを伺って安心しました。」

こうして初めて訪れた高雄という町の、名も知らぬおばあちゃんとの、ゆったりホンワカした時が流れて行きました。
私は連日の激務での疲れ、熱帯の暑さ、そして初めて訪れた高雄という街の空気感と共に、この現実離れした出会いを永く記憶に留めようと思い、おばあちゃんと別れ際に一緒に写真を撮りました。

おばあちゃん、ご主人や鈴木先生、山下先生と天国で無事再会できたかな?

台湾新幹線開業まであと3年。

そして今から18年前の、高雄愛河のほとりで流れた、夢のようなひとときでした。

おしまい

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